転職~その後 2020.1.3

2019年2月に無職生活を経験し、3月11日から 今の仕事に就くことができた。

初めての「会社員」生活。こんなに面白いならもっと早く会社員やっていればよかった!というのが率直な感想。知らないことがいっぱいあって、違う常識がいっぱいあって、学ぶこと、考えさせられることがいっぱいだ。

 久しぶりの満員電車乗り継ぎ乗り継ぎ通勤に、「通勤」の理不尽を思う。

  金にもならないこんな苦労をなぜ強いられるのか。

  みんななぜ殺伐とした顔で、

   ホームから落っこちそうになりながら、満員電車を乗り継ぐのか。

 安い給料に、経済構造・資本主義の理不尽を思う。

  公共工事や資本家の発注を、大手企業が受注する。

  それを安いもの勝ちで下請けに出す。

  さらに安い労働力に、安いもの勝ちの材料で現場をまわす。

  労働力や技術・材料に見合った価値は到底つけられず。

 そんな中で、マスタリーカウンセリングの学びとドラッガーの5つの問いに出会う。

 会社員としての私の使命はなんだ?

 私は、保健師だ。カウンセラー、人材育成トレーナーだ。(この際シンガーソングライターとミュージシャンは置いとくとして)会社が、使命を果たすために 社員がそれぞれの使命を果たせるように、全人的な健康を支え健康たりうる環境を整えるのが私の使命だ。

 自分のやってきたことの方向性は、間違っていなかったし、スキっと見通せた。

 スキっと見通しながら、理不尽に挑みつつ、自分の使命を全うしていこう、と思う2020年の年はじめであった。

 自分の その後の生業も気にかかるところ。政府に責任を果たせと詰め寄っても、あてにならない。かといって、安月給のその日暮らしで、老後の生活資金をためるなんて空想でもできない。一日でも長く稼ぐ手段を作っておかねばならない。保健師やカウンセラーだけでは難しそうだ。保健師は、70代の先輩がまだ臨時の募集があると言っていたから、多少は何とかなるか?できれば、命がけの通勤は 早いとこごめんこうむりたいので、目指すは開業。ということで、仕事に生かしつつ、将来の飯のタネ、音楽活動資金を稼ぐ手段にするべく資格取得に向けて勉強開始。

 ああ、またひとつ、やることが増えてしまった。人生は愉しい。

転んでもタダでは起きない019.2.18

秋に転職した。冬 すでに 無職。

本意でない仕事に就いた自分が一番悪い。安売りはしなかったつもりだけれど,売り焦った。

それでも,慣れて、なじんで,自分なりに面白さも見出して力を発揮して行こうと思ったし,できると思っていた。

人間関係で苦労したこともなかったし…もちろんなんだか苦手な人もいたけれど,周囲にも恵まれてやってこれた。たいていの人は,最初苦手と思っても付き合っていくうちに付き合い方もわかってくるし,根っから悪い人なんていないし,とタカをくくっていた。

 

わずかの間であったけれど,ハラスメントの構造~ハラスメントを受けている側の人が「私が悪いのだから」「ほかに行っても 役に立たない」「相談したらもっと状況が悪くなる」と思ってしまうことも,少し見えた気がする。

一方で,「仕事ができない人がいる」「何度言ってもミスを繰り返す」と訴える側への支援の視点も留意点も選択肢を増やすことができたと思う。

 

次の仕事が決まらず,貯蓄もほとんどなく,やらねばならないことは山のようにあるのにやる気が起きず,いたずらに時間が流れている。割り切ってしっかり休養でもすればよいのに,休まらない。この想いも経験。

 

負に見える経験ばかりだけれど,これから仕事をしていくうえでは財産となる。

若いときは我慢も必要かもしれないけれど,この年になったら我慢している暇はない。

得難い財産を手に入れて,さぁ,次のステップ!

自分の値段 2018.3.17

「自分を安く売っちゃダメよ」

   ちょうど正規職員(福祉事務所ケースワーカー、保健師)でいる生活に疲れて、パート(職員の健康管理支援業務)に変わった頃、保健師でカウンセラーの大先輩に言われた言葉。。お役所のパートとしては高待遇で拾って貰ったし、どこか「自分を高く売りつけるなんてはしたない、自惚れてるみたいでやだ」という思いもあった。
   6年間仕事をする中で「パートでやる仕事じゃないな」と評価していただいて、任期付職員(期間契約社員)の契約にしてもらった。それでもフルタイムで働く事は避けたかったので、短時間(週4日)の契約にしてもらった。短時間の契約だと専門性や前歴加算をすると言う計算表がなく、一律の格付けに甘んじるしかなかった。実際は若干勤務時間が伸び、やはり責任も少しは重く守備範囲も広くなった。一方でボーナスが少し増えたのは助かったが月給は殆ど変わらなかった。それでも専門性や果たしている職責への評価をもらったと思ってありがたく努めてきた。
   今年度の後半になって、量的にも追いつかなくなり、仕事の中身も「相談員」レベルから「コーディネーター」スキルを要求される状況になって来た。自分自身も身軽になったこともあって「健康で丈夫なのにもっとしっかり働かなくては申し訳ない。働けるうちにもっと働いておきたい。」と思うようになった。人件費予算のこともあると思ったので秋頃にはフルタイムで働きたいという意思表示をしてきた。それでも、任期付職員についてきちんと条例を確認するでもなく、なんとなく、専門性を加算した待遇にしてくれるんじゃないかと淡い期待を持っていた。給与的に待遇が向上しなくても「そんなにこだわらなくてもいいかな」と言う思いもあった。
   ところが、実際に蓋を開けてみると淡い期待は見事に裏切られて、短時間職員の4分の5としての位置づけでしかなかった。給与待遇の面と言うより、他の専門職が専門性や前歴加算のある待遇の中で、自分がそれ以下の位置づけにされてしまったと言うことが最大のショックだった。
    処遇決定の説明を求める中で、結局は今の「保健師、カウンセラー、さらにはコーディネーターとしてのスキル」を磨き活用してきた私の仕事は、「保健師をドロップアウトしてしまったものが、それでもやれる軽い仕事」と評価されていることが感じられたし、最後には「スタートがパートだから」と言われ、スタート時点に自分を安売りしてしまった事がこの大切な職務の価値を下げてしまったと思い知ることになった。
    けれども、この一件があったことで、任期付職員のそれぞれの違いや先々の事をきちんと理解するチャンスとなったし、今ここにとどまっていては5年後の自分が危ないと言うことにも気がつけた。
    年齢的も、転職が簡単にそううまくいくとは思っていないけれども、ほんとうにありがたいことに今の職場が次のところが決まるまで(来年度は)このまま働かせてくれると言ってくれているので、「自分を安売りしない」転職を目指していこう、と決めた。頑張れ、あたし!

7年。2018.3.10

   震災後初めて東北に行ったのは2年が経った時でした。石巻から女川にかけて旅してきました。「もう2年も経ってしまってから来たって…」と思いながら行ったのですが、そのままの傷跡・爪痕…そしてテレビでは伝わらない「仮設住宅」と言うものの衝撃を肌で感じ目の当たりにし言葉を失ってしまったことを覚えています。

   その後も年に1度位ですが被災地を訪れ、

   この3年は毎年市川あるライブハウスの主催~The North journeyと言うイベントに参加し東北に演奏旅行に行っています。

   3年前は最初に被災地を訪れた時と大きく変わらない、進まないなぁ、と言う感じでしたが2度目に訪れたときに土地が整備され少しずつ少しずつ進み始めたーと、やっと感じることができました。工事が進まない大きな原因の1つが人手不足と言うことで、「都会で詐欺なんかやってないでここに来て働けばいいのになぁ」なんて思ったことを思い出します。

昨年秋3度目に訪れた時は、プレハブだった商店街も立派なショッピングモールに生まれ変わり、道路も出来上がり、新しい街が生まれ動き始めたなぁと感じました。

その旅の現地での世話役の方の話で印象に残っている言葉があります。

「街は復興しました。新しく生まれ変わりました。けれども人の心はまだまだです。」

   私には、その辛さや苦しみや悲しみやそういったものを感じることはできません。リアルに想像することもできません。けれども、皆さん口々に、

「こうして忘れないでいてくれる、来てくれるっていうことが嬉しい。」

と、言ってくださいます。

   私にも忘れないでいること、時々東北を訪れる事はできるんです。これからも訪れ続けたいと思います。そして、語り、歌い伝えて行きたいと思います。


   昨日から、ありがたいことに3連続でステージに立たせていただきます。

   この3日間に歌わせていただくカヴァー2曲は、震災後現地を訪れて現地の人々と言葉を交わした中から生まれた2曲です。

   1曲めは、小料理屋の大将でありながら作家でもある「酒井一至」(酒井かずゆき)作詞で、ヴァイオリニストの「児玉あい子」が曲を付けた「花をください」。

   2曲めは、「Singーる」作詞作曲「きぼうのたね 」です。この「きぼうのたね」ご本人のCDアルバム「きぼうのたね 」に収録されています。超おススメアルバムです!


   去年の秋には、福島の第一原発を見てくる機会にも恵まれました。立ち入り禁止区域をバスで通り抜け原発の敷地内をバスで見て回ることができました。立入禁止区域内の時が止まってしまったような風景と7年の時を思わせる草木の姿にまた言葉を失いました。風化させてはいけないと言う言葉も聞きますが、現地は風化どころか何も変わっていません。進んでいません。原発は今まさに「今」の課題であり、遠い先まで残る「未来への」課題です。

   心に留めておきたいと思います。


激動の2017〜実はこれも序章に過ぎない…⁉️ 2017.12.6

2017年。
わたしにとっては、大きな転機の年だった。

3月に千葉県鎌ケ谷市のMT milly‘sでの「夢見るオトナのゴールデンライブ」、5月に茨城県石岡市 ギター文化館での「森のこだま」の開催を決定。それぞれ、7月、12月と無事開催できた。ホールのライブイベントを仕切るなんぞ初めてだったのにその自覚すらなく、ライブハウスで、自分の企画をやらせてもらってて、その延長線上くらいな気軽な気分だった。
出演者の皆様やお客様、両ホールの方々に助けてもらって容赦してもらって、でも、喜んでもらえた!
「森のこだま」はすでに、Vol.2が決定、3もほぼ開催決定。MT milly’sも、また、夏に開催したい。

気持ちが動き、感情も動き、新曲も3曲生まれた。「海碧ーコバルトブルー」と「夢見るオトナのゴールデンソング」は、あちこちで好評を得ている。

やっとこさ、レコーディングもリハを開始。

名前も「ねむりの森のNeko」に変えた。

内面的なところでも
もう四半世紀もどう向き合えば良いかわからず抱えてきたことにたいして、「自分はどうすればいいのか」「それは具体的にどう行動するのか」が突然見えて、実行に移すこともできた。これは、続けて行く。何かが解決するとかそういうことではないけれど、とても大切な大きな気づきをもらった。

もう一つ、もうずっとーたぶんはじめから、馴染めなかった自分の「名前」を、初めて「自分にとって大切な名前lだと思えたし、「愛しい」という思いも少し持てたし、何より、この名前で「呼ばれたい」と思えるようになった。
大きなつっかえがとれた。

多くの人との関わりの中で、いっぱい助けてもらって、いっぱい受け入れてもらって、刺激ももらってーどのことも、多くのいろんな人のおかげでできたこと。感謝もものすごくいっぱいで大きな2017。ありがとう😊

「夢をかなえて、ドラ●もん」に 思う 2017.11.30

♫ いつまでも輝く夢 ドラ●もん そのポケットで かなえさせてね〜♫

聴くたびに「いや、自分で叶えろよ」と、ツッコミたくなる自分がいた。
で、ちょっと考えてみた。

幼い子どもは、大きな夢、突拍子もない自由な夢を持ってて
でも、かなえるだけの、力も知恵もまだついてなくて
だから、魔法使いになりたいとか、ドラ●もんの道具が欲しい と、ホンキで夢想する。
それは、自分もそうだった。

さて、いちおう「オトナ」というものになった。
「夢」はどうしたか?
現実とかしがらみとかと折り合いをつけて、途方も無い夢は見なくなったかもしれない。

でも、本当はこうしたい、こう生きたいってーあるんじゃないのかなぁ。
もっとこうだったらいいなぁ、でも「夢だよなぁ」って呟いて諦めちゃう?
大きな夢でも、小さな夢でも
願わなければ叶わない。
そして、叶えるのは「自分」
ドラ●もんのポケットや魔法使いに頼らず
自分の意思と力で、夢に向かうのが「オトナ」なんだと思う。叶わなくても。

2018夏も、「夢見るオトナのゴールデンライブ」やろう!

お客様あってのライブ 2017.11.12

「演奏しながら外から聴いてる耳で聴く」
その大切さを感じながらも、簡単ではない。忘れてしまいがちだし、意識したってできることじゃない。
ましてやステージでは、正直言って「それどころじゃない」

ライブ会場で、お客様が演奏に集中してくださってないと感じる時。
〜もちろん、リラックスして、食べたり、飲んだり、メニュー見てたりしていて欲しいし、ちょっとウトウトしてくださるのもいい。
「これ美味しいね」とか、曲へのコメントなんかも話ししててって思う。
耳に心地よく入っててくださるといいなと思う。
いろんな事情で中座されることも、遠慮なくして欲しいし、余裕があればステージ上から会釈の一つも返したいと思ってはいるのだ。
気にはなるし、演奏に出ちゃうこともあるけど、そこは100%私の課題。
〜でも、全く違う話題で盛り上がってたりして、全く聴いてくれてないなぁ、なんて思うこともある。聴かせられないのはステージ側の責任。
「今こそ、聴いてる側の耳で聴きながら演奏しなくちゃ」なんて思ってもできるわけもなく。実際は気にしないようにするのが精一杯。
でも、それってヒトにはクチ酸っぱく言ってる「〜しない」目標だ。
結局は集中力に欠けてしまう。そうなるとお客様もそぞろになって、こっちも一段と気が入らなくなる。

別な話題や他のことで盛り上がってるお客さんも取り込んで包んでいけるような演奏ができるといいなと思う。
それってやっぱり、日頃の練習。練習中にも「外から聴いてる耳で聴きながら演奏する」ことをしていくことだろうな。

ボイトレを、今年度いっぱいで一旦卒業する予定。あとは不定期にメンテナンスに行かせてもらう予定だ。
あと4か月。弾き語りの演奏を聴いてもらってフィードバックしてもらうことも考えてる。

来てくれたお客様皆さまに、心地よく過ごしてもらえる空間をつくれるようになりたい。
練習の精度をあげてかなきゃ。
でも今日は、もう寝よう。0時半だもの。


旅の支度 2017.10.31

旅が、始まったのだ。

あの日、悪魔と契約してしまった。魂を売り渡した。

美しい魂に出逢って、苦しくなった。
かけらでもいい。取り戻したい。
清らかな幻が導いてくれて、
京都経由の旅はそこから始まった。

今、無謀な日々に踏み込んで行くのも
ただのわがままかもしれないけれどー
旅の支度になるんだと、感じている。
ひとりで  いく。

本屋で出くわした自分の求めるもの 2017.10.29

心理カウンセリングセミナーで、「感受性の鈍さを活かして、傷つけられることを恐れず思いを伝える自分」を目指したい思いに気づき、そこへのスモールステップとして、なぜか、映画を観るとか本を読むとかが浮かんで来た。「当日中にできる」実現可能なものとして、本屋に寄って短編集の小説かエッセイを買うこと、とした。
そんな漠然としたイメージで本を探す。とりあえず、小説コーナー。原点回帰で漱石から手をつけようか…。題名だけ知ってる名作を読むか…。なんか違う。
平積みの本の表題を眺めてしばし彷徨く。そうするうちに、目に留まる言葉達から、ふと思った。自分が何を探しているのか。
気持ちを抉るようなものを読みたい。糾弾されたい。だれかに酷く詰られ、決して許さないと言って欲しいのだ。
そう思いつつも、そんな本にそう簡単には巡り会えるわけもなく(いつか、自分がかけるようになるべきなのかもしれない。)…
でも、少し感じさせてくれそうな作品に出逢えた。知らない作家さんの。

自立心だったのか? 2017.10.13

体調が悪い時、弱ってる時、誰かにそばにいて欲しいか?という設問には、即答で「No」と答えて来た。ひとりでそっとして置いてくれるのが一番ありがたいと信じて来た。
でも、実は違ったのかもしれない。
具合が悪い時や弱ってる時ほど、一緒に居られる人のストライクゾーンが狭くなってしまって、ホントは誰かに居て欲しいのに、誰を思い浮かべても負担感の方が大きく感じてしまっていたということなのかもしれない。
こんなことに、気づかなければ良かったな……

哀しさの正体 2017.10.7

日付が変わってしまった。

この数日、妙に哀しい。
はっと、気づいてしまった。
勢い込んで飛び込もうと思ったプールの水が空っぽだ。

想定外?いや、ちょっとは考えてたよ。将来的には、あるかもしれないって。
でも、唐突に、早すぎない?

これから受ける大打撃に、どう耐えるのか?
痛みを連れたまま、空っぽでも、飛び込むのか?

ホットミルクに酒粕とはちみつと生姜とちょっと豆乳も入れて
今夜のは、甘すぎた。

眠れる気はするけど、目を閉じるのが怖いー


勇気か、無謀か。 2017.9.29

ある想いにとらわれてしまっている。
多くの人は、「こうしたほうがいいと思っているのに、できない」って悩むんだろうけど
私は、「そうする方が良くないこととわかってるのに、やりたい」って悩むことが多い。
結局は「やりたい」に引っ張られて、どんどん収入も減り、地位も下がり、
でも、すごく、幸せに生きてると感じる。
そう考えると、今回も自分のやりたいを信じていいのか。

しかし、自分の幸せを求めるために、犠牲にしてきた、犯した大罪も、また、消えるものではない。
今回も、大きな犠牲を他者に強いることになるのだろう。

もう、本当は、こころは決まっている。そう感じる。
払う犠牲にどれだけ誠意を尽くすのか。
そして、過去の犠牲にどう、あがなうのか。

まだ、人生半ばだ。

名前 に 想うこと 2017.9.28

「幸子」…私のなまえ。
半世紀も付き合って来たのに、馴染めずにいた。
親兄弟や親戚、ちっちゃい頃から知ってる郷里のご近所さん以外に、私をなまえで呼ぶ人もいなかった。
ファーストネームで呼ばれる雰囲気もなかったのだろう。
今でも覚えてるのが
中学校で、テストを返す時、数学教師がクラスの女子全員をファーストネームで呼び出してたが、
ラストの私の時に、やや詰まって、結局苗字で呼んだこと。
ファーストネームが嫌だとか言ってたつもりもなかったが、多分周囲も、馴染んでなさを感じてたんだろうと想う。
苗字で呼んでくれて、正直ホッとした。

もちろん、大人になっても、彼氏ですら、私をなまえで呼ぶ人はいなかった。
自分の馴染めなさも、ずっと続いていた。

最近は、本名より「Neko」の方が自分のほんとうのなまえという感覚が強くなって来ていた。
Facebookで、本名を名乗らされる違和感。
思い切って、アーティストネームもFacebook登録名も変更することにした。
そんな中で、ぼんやりと考えていて、「はっ」した。
私=幸
の違和感にばかり囚われていたけれど、
誰かに 「幸」を少しでも感じてもらえる、ほんの少しでもその力になることが
このなまえが、私につけられた意味なのではないかと。

私には、音楽がある。音楽を通して、触れ合う人に、ほんの少しでも、ほんのひと時でも「幸せ」を感じてもらえれば、どんなに嬉しいだろう。
音楽で届ける幸せ。
音幸 って「ねこ(う)」って、読めるじゃん。凄い!

ねむりの森のNeko 2017.9.27

ずっと気がかりだった名前を思い切って変えました。
NekoはNekoなんですが
オフィシャル ネーム を「ねむりの森のNeko」と しました。
〜Neko Lullaby  Forest〜も、併用。


もう一人の大切な恩人 2017.9.26

公認ストリートで、ある社長に拾われて、ボイトレに行かせてもらった。
トレーナーのT氏との出会い。
なぜ、彼のいうことを信頼したのか自分でもよくわからない。
なぜか素直に言われる通りに取り組む。
にわかにはからだがついていかないが、その日から発声の根本が変った。
ボイトレには4-5回通ったかなぁ。
少しはまともに歌えるようになって来たら、社長が本題をー
社長は自分の書いた歌を歌う歌手を探しているのだと。
何人か声をかけたうちの素直なひとりだったらしい。
ありがたいお話ではあったけれどおことわりした。
社長からは、もうT氏のレッスンを受けることを禁止された。

T氏は、気の毒に思ってくれて、その後もこっそり2-3回通った。
社長と、挨拶くらいはできるようにしてくださった。

たまに、調子はどうだ?と電話をくれる。
壁にぶつかると、レッスンを受けて、また、先に進む。

そういえば、今、私は携帯電話不通状態だ。
心配かけてるかな。

T氏はもうアラ卒。
できあがったCDを届けるのが、目下の夢のひとつ。
社長にも届けたいな。

たいした覚悟もなく…2017.9.17

何の覚悟もない。ただ、止めたくはなかった。
自分の中の謎が解けていく。

自分に欠落していると想っていた、
ひととしての
ほんとうは 欲しかった 感情が
自分にも あるかもしれない。

大切なふたつの 感情

なにも考えず、ただそこへ向かいたかった。


一方で、何の覚悟もない。

夢を見ているガキのようだ。

しがらみはそう簡単に外せない。

もともと、取るに足らない 私だ。
もう少しゆっくりしがらみから抜け出す準備をすればいい
時間が解決してくれることもある
時間をかけて、
自分の想いを確かめて行くことも必要


今が成長期、ずっと成長期。 2017.9.11

存在そのものが誰かを助けている。2017.9.6

何かしてもらったり言ってもらったわけではないけれど、その人柄や想いに触れさせてもらう中で、こっちが勝手に助かっている。当の本人は、自分は微力だと謙遜しているが、周囲にどれだけ「救われた」「助けられた」と感じている人がいることだろう。
逆境から、新たな自分を手に入れ、新たな力を身につけ、自身の幅を広げてこられたのだと思う。
あなたの存在そのものが、私の、おそらく周囲の多くの人の、かけがえのない宝物。ありがとう。

出逢えて良かったと思える人は少なくないけれど。


知り合ったのはもう数年前のある二人の方。この1年くらい、そして段々と私にとって貴重でかけがえのない出会いになってきていると感じる。出逢えてありがとう。

ありがとう。2017.9.6

やりたいなぁ〜やれるといいなぁ〜やる! 2018.3.29

「合理的な配慮」を、あたりまえの 心使いに。


  「合理的配慮」と「特別なサービス」の違いをわかってもらえないもどかしさを感じてきた。

   今回、自分の処遇を考える中で、さらに冷遇される中、高度な技術でもって仕事をしている手話通訳の方のこともやはりどうにかしたいと思った。

   いろいろな障壁にぶつかりながら、なんとか頑張ってるー私にとって、大切な、最も尊敬する人の姿。

   わかってもらえない中で、懸命に支援を続ける友の姿。


  誰もが幸せに生きていくためにそれぞれに何が必要なのかを、自分の想像が及ばないことも身をもって感じ、「あたりまえの配慮」にきづき、あたりまえに配慮できる、配慮を求めることもあたりまえ。そんな世の中であってほしい。


   だから、やる。きっとできる。